はじめまして。親の婚活相談所でアドバイザーを務めております、サヤカと申します。

こういった声を、親御様から本当にたくさんいただきます。「出会いがないと本人は言うのに、自分からは何ひとつ動かない」。促せば顔つきが険しくなり、黙っていれば月日だけが過ぎていく。苛立ちと、どうにもならない無力感のあいだで足踏みを続けておられる——同じように足踏みを続けておられる親御様は、決して少なくありません。

最初にお伝えしたいのは、あなたのお子様が怠けているわけでも、人として何かが欠けているわけでもない、ということです。この十数年で、結婚という出来事そのものが、はっきりと遠のきました。誰もが結婚を望まなくなった、という話ではありません。今の若い世代に尋ねれば、その多くは「いつかはしたい」と答えます。願い自体は消えていないのに、そこへ通じる道だけが、年々、細く険しくなっている。お子様が立ち止まっているのは、道の細さのせいであって、心の弱さのせいではないのです。

なぜ「結婚しなさい」は、もう届かないのか

ここで少し、スロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェクの話をさせてください。彼はよく「超自我」という言葉を使います。かつての超自我は、はっきりと「従え」と命じる声でした。ところがジジェクによれば、現代の超自我はずっと狡猾で、「あなたは自由だ。だから自発的に、正しいほうを選びなさい」と、優しい顔でささやいてくるのだそうです。

そう聞くと、思い当たる節はありませんか。「いい加減に結婚しなさい」という露骨な号令は、もはや通用しません。古めかしく響き、反発しか呼ばないからです。けれど、肝心なのはここからです。命令の言い回しを柔らかくしただけでは、本質は何も変わりません。「気になる人くらい、いないの?」とそっと尋ねても、その奥にある「結婚してほしい」という圧は、少しも引っ込んではいないのです。お子様は、言葉の調子ではなく、その圧のほうを、ぞっとするほど正確に嗅ぎ取っています。

私がジジェクを読んでいて、いちばん胸に刺さるのがこの点です。優しくしさえすれば片づく、という話ではない。優しさの衣をまとった圧力は、むき出しの説教よりも逃げ場がなく、かえって厄介なことすらあるのです。

「望んでいる」のは、いったい誰なのか

ジジェクが下敷きにしている精神分析家ジャック・ラカンに、有名な一節があります。「欲望とは、他者の欲望である」。私たちは生まれ落ちた瞬間から、まわりの人——とりわけ親——が何を望んでいるかを読み取り、そ ……